みなさんこんにちは。
(前回の更新から1年以上経ってしまいました。すみません)
GWに、毎年恒例の九州旅行に行ってきました。
旅行、といっても、北九州/門司の家内の実家に行き、足を延ばして九州内を旅行する、というパターンです。今年は佐賀/武雄温泉~長崎/五島列島に行ったのですが、その時の写真はFacebookにアップしていますので、ご興味のあるかたは、そちらをご覧ください。
https://www.facebook.com/hiroshi.sakai.3367
さて、家内の実家にいた時、半日ほど時間があったので、家内が高校1年まで住んでいた北九州市/戸畑区(当時、八幡製鉄所の社宅に住んでいました)と、私が新入社員の時に3ヶ月だけお世話になった同じく八幡製鉄所の「鞘ヶ谷」社員寮を訪ねてみよう、という話になり、行ってきました。
本文とは全く関係ないのですが、まずは門司の「圭順」からスタートです。
ここは本当に「昔ながら」のラーメン屋で、実にシンプルな豚骨ラーメンがワンコインで食べられます。こういうラーメン屋は北九州でも少なくなりました。
それはさておき、向かったのは、家内が子供時代を過ごした戸畑区です。
まずは小学校に行ってみたい、ということだったのですが、残念ながら、家内の通っていた小学校はこういうことになっていました。
22年前の1997年に他の小学校に統合されて廃校になり、更に統合された先の小学校も別の小学校に統合され、結局、当時あった3校が今は1校になっていました。当然、当時家内が住んでいた社宅も全く残っていませんでした。
次に向かったのは、社宅の近くの商店街ですが、ここもご多分に漏れずシャッター商店街となっていました。
アーケードもこんな感じです。
家内が覚えている店で、唯一残っていたのはこの和菓子屋さんだけでした。
「戸畑音頭」という、黄身餡をメレンゲで包んだ饅頭が有名だそうで、その場でひとつ美味しく頂きました。家内が子供のころから変わっていないようで、当時としては斬新なお菓子だったと思います。
和菓子屋のおばさんにバス停の場所を聞いたところ、「あるけど、今は本数が減って1時間に1本ぐらいしかないかもね~。昔はほんとにひっきりなしに通ってたんだけどね~」とのことでした。
さて、その本数の少ないバスを何とか捕まえて向かったのは、私が新入社員時代にお世話になった「鞘ヶ谷寮」です。
ある程度想像はしていたのですが、寮は跡形もなく、きれいに整地されていました。
昔、通勤で歩いて通っていた道も、昔は両側が社宅群だったはずですが、今は売却されて普通の民家が立ち並んでいます。
統計で調べてみると
ということで、街に当時の面影が全く残されていなかったことで、家内も私も、ちょっとがっかりして帰ってきました。まあ、あれから40~50年経っていますので、無理のない話なのですが。
ただ、連休中だった、ということを割り引いても、街の寂れ方が想像以上だったので、東京に戻ってから、少し調べてみました。
八幡製鉄所の従業員数は、この50年で
1/10以下
という衝撃的な数字ですが、それに伴い、戸畑区の人口も半分近くまで減っています。
子供の数も見てみたかったので、若干年度は違うのですが、こちらはe-Statから数字を拾ってみました。
1980年と2015年の比較ですが、15歳未満の子供(~中学生)は、1/3ぐらいに減っています。なるほど、これでは小学校3校が1校に統合されても仕方がありませんね。
さらに、全国との比較が気になったので、これもe-Statの国勢調査の数字から、グラフにしてみました。
この35年間で、実は全国の人口は少し増えており、減少の一途だった戸畑区とは大きな乖離があります。これは、やはり八幡製鉄所の人員削減が大きく影響していると考えざるを得ません。
15歳未満の子供の数は、少子化で全国でも減っているのですが、戸畑区の減少はそれより更に激しくなっています。
私が日本製鉄を退職して既に2年が経ちましたが、会社にいる間は、人員の合理化から始まって、海外への生産移転など、地域の雇用確保(=会社から見れば人材の確保)とは真逆の仕事ばかりしてきました。
その時はその時で、会社そのものの存続のためにやってきたことではあるのですが、会社を離れ、こうして街が消えていく現実と、衝撃的な数字を目の当たりにすると、忸怩たる思いはぬぐえません。
これは戸畑だけの問題ではない
では、こうした現象が鉄鋼城下町だけのものか、というと、残念ながら、人口減に直面している企業城下町は全国にあるようです。大阪の守口市や門真市、長野の須坂市、栃木の矢板市、企業城下町ではありませんが、東京の大田区や板橋区なども製造業に従事する人口は激減しています。
さらに言うと、これからは人口そのものが減少していきますので、企業城下町に限らず、全国で同じような現象が起こると考えざるをえません。
今後の人口減少予測グラフと、戸畑区のこれまでの人口減少グラフを40年ずらして重ねてみると、下記のようなグラフになります。非常に単純化して言ってしまうと、日本そのものが、これから40年かけて、戸畑のような状態になっていく、ということです。
今回、このあとに行った五島列島の離島や、北海道や東北の離村では、すでにこれ以上の人口減少が起きていますが、これからは田舎だけではなく、都市部においても、戸畑で起こったような学校の統廃合や商店街の消滅、公共交通機関の廃止などが起こってくる、と考えざるを得ないと思います。
40年後に私が生きている確率はほぼないと思いますが、このままでは、あまり楽しい環境の中で余生を全うすることにはならなさそうです。
これからのこと
私事ですが、この4月から、中小企業診断士としての所属を東京都の「三多摩支部」というところに変更しました。「三多摩支部」は、東京では唯一、奥多摩地区や島嶼部などの過疎地域を管轄する支部で、地域支援の活動に力を入れています。
これからあと20年ぐらいは働かせていただくとして、衰退する日本の中で、中小企業診断士として何ができるか。時間はあまりありませんが、考えていきたいと思っています。